鏡に映るあなたは誰?
大学生の頃のこと。
私はいつからか鏡に映る自分の姿に、違和感を覚えるようになった。
劇的に体型が変わったとか、顔色が目に見えて悪いとか、そういうわけではない。
私はこんな顔をしていたか?
漠然とだが、確かな違和感があった。
自分の顔を見ても、自分であると認識が出来なかった。
この違和感は、すっぴんの時に感じていたから、メイクをした自分が当たり前になったのかと思った。
実際に、メイクをするときに鏡を見ても違和感を感じることはなかった。
とはいえ、それもおかしい事だった。
スポーツ推薦で大学へ入学し、部活にまみれた4年間。
メイクをするのは段々面倒になるし、眉毛だけとかアイラインだけ、と簡略化していたからだ。
それに、休みの日に外に遊びに行くエネルギーもなくて、ずっと部屋で寝て起きての繰り返しをしていたのだから、メイクをした自分を見ることのほうが少なかった。
すっぴんの私を鏡で見る時、どうにも自分の存在が揺らいでいる感覚があった。
そこにいるはずなのに、そこにいない感じ。
ふわふわと定まらず、頼りない感覚。
あの不思議な感覚は今ではもう感じなくなったが、いまだによく覚えている。
何故こんなことを今更思い出したかと言うと、「Shrink〜精神科医ヨワイ〜」という漫画を読んでいるからだ。
この漫画は、超エリートなのにそれを感じさせない雰囲気の、物腰柔らかい男性精神科医が、経営するこぢんまりとしたクリニックで、一人ひとりの患者にとことん向き合うといった内容だ。
とある漫画サイトで読んでいるのだが、今はパーソナリティ障害の回で、色々と思うところがあって、前述の自身の体験を思い出したわけだ。
私は気持ちが落ちていた時期でも、誰か助けてくれとは思っても、病院に行きたいとは思わなかった。
あの時期に精神科に行っていたのなら、きっと私は何かしらの診断を下されただろう。
なぜ病院に行きたくなかったかといえば、漫画冒頭にもあるが、精神科に行くということ自体が、そもそも精神的にハードルが高かったということと、何か診断を下されたからといって「だから何なのだ?」と思っていたからだ。
病名がついた事で、自分に何が起こっていたのか理解できてよかったという人もいる。
しかし私の場合、私が人よりおかしいのはわかっていたし、全ては私が弱く、人と違うのが悪いと思っていたから、それをわざわざ第三者から認定されることに意味を見出せなかったのだ。
薬を飲んだら、何か変わるのか?
ADHDの母は、初めこそ薬を飲む事で「普通の」日常生活が送れると喜んでいたが、段々副作用に苦しめられ、最終的には薬を飲まなくなった。
そんな身近な例を見ていたから、余計に病院に行ったところでという思いがあった。
無理やりでも社会に出て実際に働いてみると、自分の価値がそこまで低くないことに気がついた。
実は出来ることが結構あって、感謝されることもあって、そうやって少しずつ自信がついていった。
今、鏡を見ても「あなたは誰?」となることはない。
「今日もいい感じだね」
「今日の眉毛はめちゃくちゃいい感じ」
「あ、この角度いいじゃん!」
そんなことを考えられるようになった。
ただいまだに違和感を感じるとしたら…
「あなたどんどん太ってるわね…?」
ということくらいだ。笑