頭の中のいろいろ

頭に浮かんだことや実際にあったことを記録していく予定。不定期のんひり気まま更新

私か私以外か

とあるホストがタイトルのようなことを言っていた時、私は単純にそりゃそうだろとしか思わなかったし、特段かっこいいだとか、名言だとも思わなかった。

いや、別にファンの方々に喧嘩を売りたいわけではない。

 

私は趣味でタロットをすることがある。

買って数年経つが、いまだにカードの意味も覚えていないのでリーディングする際には本が必須なのだけど。

タロットと一言に言ってもいろんな種類があることは、いざ調べてみて初めて知ったことである。

その中から私が選んだのはトートタロットと呼ばれる種類のもので、単なる占いというよりも、自分自身により気づくことが目的のカードらしい。

絵柄も好みでとても気に入っているが、いかんせんタロットの中でも難しい種類として知られており、これを自在に操ることは生涯無理なのではなかろうかと思うほどである。

本を見ても、ピンとこない事が多く、それが何なの?となることも少なくない。

 

今日はカードリーディングのやり方のところからきちんと読んでやってみると、私のやり方が間違っていたことがわかった。

やり方通りにやってみると、なるほど面白いとなるのだから、やはり取説はしっかり読まなければなるまい。

 

さて、その「ちゃんとしたやり方」で見た自分自身への総評は、

「まあ、そこまで窮地には陥らないしなんとかなるさ」といった感じだった。

(私が自分で結論つけるものは大体そうな気もするが、勝手に考え過ぎているだけということにして、ここではひとまず置いておくこととする。)

私がやっているリーディングでは、今の現状から、内面、人との関わり方、俯瞰的に見た時の状態(高次の意識、存在からのメッセージともいう)などがわかるものだ。

 

今回、親密な関係性の部分では、「窮屈さや嫌だなと思うことが出てきたとしても、その問題の原因は、相手にはないということに気づくべき」みたいなことが書かれていた。

よく子供は親の鏡だなどと言われるが、それは別に親子に限ったことではなくて、自身の内面の問題点を周りの人が代わりに再現していて、必然的にそれと向き合わされていたりするなんてこともあるが、つまりはそういうことなのだなと思ったわけだ。

周りが体現しているのは、主に自身の無意識下での不安や恐怖であることが多い。

つまりは見るべき相手は自分自身なのかと考えた時に、ふと頭に過ったのは母のことで、親子という関係性だった。

私のトラウマの多くの原因は母で、いわばラスボスなわけだけれど、いまだに母に引っ張られて無意識下で恐怖を覚えている。

しかし、その無意識下の恐怖というのは私が過去に母に植え付けられたものであり、現在の母によるものではない。

「問題の原因は相手にはない」というのは、「相手に非はない」ということではなく、要因となったのは相手かもしれないが、それに長く苦しめられているのは自分自身であり、それから解放されるために見るべきは相手ではなく自分自身であるということなのではないだろうか。

そうなると、親子とはただ血がつながっただけの関係性で、家族もまた然り。

ああ、この世界はただの個の集まりでしかないのか。

そうすると、私か私以外しかいないのだ。

と妙にストンと納得したことが不思議で、なんて今更なことをと思いつつ、感慨深くなっている。(少々飛躍し過ぎている感じもあるが、ストンと落ちてきた感情を言葉に表すことが難しい)

 

冒頭に戻るが、某ホストが言っていた「自分か自分以外か」という言葉の真意はわからないが、私なりの解釈が生まれたことによって、やはりこういったことは誰かに言われて気づいても深く納得し理解することは出来ないのだと実感した次第である。